300点なんてケチな点数をオマケしてもらっても、ちっとも嬉しかぁない。
トップの行方が300点ぽっちで左右されることも実際に無いとは言えないけど、結果でしょ、あくまで。
7700点を8000点にしたって誰も文句を言わない時代なんだからこんなチャチな点数を付けて煩わしい思いをするくらいなら、いっその事、シバ点なんて無くしてしまうか、せめて1500点くらいにしたらどうかってぇ思うんです。
あっ勿論、連荘の時に追加する点数の話ね。
こんなのなくったって麻雀の面白さが変わるわけじゃない。
はい、そのとうり。一般の一発/裏ドラ/槓ドラアリのルールなら、300点のやり取りをやめても、なぁ〜んも変わりません。
荘家が積棒を出す手間が省けたり、和了り点の申告時に言い直す事がない分だけ、スムースに局が進行すること間違いなしです(本当にスススッと進むんだな、これが)。
だからって積棒をいきなり無くすなんてデキナイ、保守系の麻雀愛好者であるアタキは『バセンゴ』を強く推奨することをここに宣言するものです。
いきなりで申し訳ないが、『バセンゴ』とは『一本場1500点』のことで、これはとりもなおさず『二本場3000点』のことであり、『三本場4500点』『四本場6000点』のことを言外に含んでいることは言うまでもない。
荘家が和了った時や、流局時には、積棒を出す。全自動卓の種類によってはボタンを押して、何本場なのか分かるようにしておく。
このシステムを最初に考えた奴は、かなり賢い。
この賢い奴を田中健一(仮名)としておこう。
本当は中国名の筈だが、あくまで仮名なのでアタキはいっこうに構わない。
田中健一君は連荘や流局の度に、今が何本場なのか思い出すのに苦労したのだろうか。
イヤ、田中健一君が覚えてなくとも、一緒に卓を囲んでる他の三人の誰か一人でも、今が何本場なのか明確に、自信を持って、声高々に明言できたならば、わざわざ積棒を出す必要はなかったのだろうか。
積棒を卓上に出すのを忘れるのはよくあることだ。
実情は少し違う。
田中健一君のことに詳しいその筋からの情報によると(かなり胡散臭い情報だが)、ここで出した積棒は、たんに何本場かの目安だけでなく、この局に誰かが和了った時にはそのまま加算される点棒だったのだ。
今でも、ツモアガリに限定すればこのルールはそのまま当てはまるが、その当時の田中健一君とその友人達がやってたルールでは、出アガリでもツモアガリと同じように三人から点数が貰えたらしい。
ああ、二本場だから、300点の三分の一の100点を二倍した200点を、本来の点数に加えて渡す、なんてヤヤこしい話じゃなく、本来の点数の上に卓上に出てる本場の分だけプラスして渡してしまえばよかった。
田中健一君が卓上に出した点棒が10点棒(いわゆる百点棒)だったとは思えないけど、彼が考えたシステムは、時代を超えて踏襲されていった。
かつて満貫が2000点だった時代がある。
かなり昔の事で、今となっては語られることも少ない。
その時代にあって、現代には失われたものが数多くある。
続いているものと言えば、麻雀用語とそのシステム、そして雀歴30年の麻雀愛好家くらいのものだ。
『メンタンサンショク』や『ハイテイヅモサンアンコ』が2000点なわけで、かなり寂しい時代だったらしい。
裏ドラや一発なんて無かったらしく、本当に寂しい時代だったようだ。
あんまり寂しいので、上野にいた健さんという人が、リーチという役を世間に広めて、その結果、いくらか明るい世の中になったらしい。
彼は別名『ドサ健』とも呼ばれていた。
そんな満貫が2000点だった時代のシバ点は、実は300点だった。
赤ドラは勿論、まともなドラさえ一飜に数えなかった時代だから、満貫を作るのはかなり苦しいのだ。
当時の満貫の価値は今の時代の一万点はゆうに超えると思われる。
そんな時代の一本場が300点だったのだ。
点数には場ゾロ(いわゆるバンバン)が付いて、ドラも増え、一発などの役が増えたにも関わらず、本場だけが300点のまま、というのはどうにも不自然だ。
その結果、本場に元々あった『親の連荘の価値』『連荘を阻止することの価値』が失われてしまった。
麻雀が一局清算でなく半荘という単位で区切られているのは、局のアガリといった短期的な戦術以上に、トップを取るという長期的な戦略に重きが置かれている証であるのに、連荘の意味が小さくなってしまっては、その醍醐味も失せてしまう。
だから、300点なんてやめて一本場を1500点にしよう、というのが『バセンゴの会』が言ってることだ。
ん〜、またイキナリでごめん、こんな名前の会があるのだ。
1500点という数値の設定は妥当だ。
一本場3000点や、出アガリ1000点ツモアガリ1500点、なんてルールの経験があるが、前者は親が連荘目的だけに走る傾向が目に付き、後者は計算がメンドーだという欠点がある。
満貫2000点時代の三十符一飜は散家が240点で、荘家は360点。
この時代の300点なので、今なら1250点くらいになる理屈だが、全体的にインフレ化したのと、計算を簡単にするためという理由で、まぁ1500点、と。
ね、一応、根拠はある。
実際にバセンゴのフリー雀荘は数多くある。
ブーマンをやめて、リーチ麻雀(ナガマン)を採用した多くの歴史あるフリー雀荘ではバセンゴはかなりのシェア(なんて言い方はオカシイ)を占めてる、というようなことはアタキが勝手に思ってるだけだから何の信ぴょう性もない。
ついでに言えば、アリアリフリーでは300点が主流だけど、ナシナシフリーでは1500点が主流のような、そんな気もするけど、やっぱりこれも信ぴょう性はない。
アリアリであっても(イヤ、だからこそ)バセンゴの方がずっと面白いと思うのだがどうだろう。
バセンゴが引き起こす変化にはいくつかある。
第一は、インフレ化。三十年の歴史の中で続いてきたインフレの波は、常に『役の価値』を相対的に低くしてきた。
これは悲しむべきことだが、バセンゴもそうであることに変わりない。
ところがインフレを構成する他の要素と大きく違う点がバセンゴにはある。
他の要素のほとんどが勝負に及ぼす偶然性の影響を高めるのと異なり、バセンゴはその結果が前もって対局者全員に明示されている。
本場が付いている、という事実は誰の目にも明らかなことだ。
半荘を制するための戦略が無駄にはならないことが保証されているのだ。
第二の変化は、逆転の目を残せることだ。
トップ戦線から離脱した人間は本来『(雀鬼の言う)仕事』に徹することは素敵なことだとは思うが、それでも自らがもう一度トップ戦線に返り咲いたり着順を上げることがいくらかでも簡単にできる方が楽しいのは間違いない。
おっと、『仕事』だってやりやすくなるかもしれない。
平場の満貫よりも二本場の5200点や三本場の3900点の方が高いんだから、いつも自分の手役だけしか念頭に置いていない勝負よりも、深い。
最も大きな変化は、親の価値が高まるということだ。
親の連荘が後の勝負に与える影響は 300点の場合よりも大きいのは明らかだ。通常でも親の価値はそこそこ高いと考えられている。
しかしその実体はというと言われている程、親は有利ではないのだ(この理由はいずれその内、解きあかされるかもしれないし、そうでないかもしれない)。
ただ単純に、その局だけの親と子の有利不利を問題にするだけでは、せっかくの親のチャンスの本当の意味を見失ってしまう。
連荘が起こり、そこでドラスティックな展開が予想されてこそ、トータル的に、親の価値が見直される筈。
親なんてドーデモイイジャン、という考えもあろうけど、そんなら、ナンデ親なんてモノがあるんだヨ、と言いたい。
イイタイ、イタイ、痛い、遺体、異体、よかタイ。
ここまで聞いた君はもうバセンゴの虜だろう。
バセンゴでなくっちゃ本当の面白さは味わえない。バセンゴだからこそ楽しい。
バセンゴは地球を救う。バセンゴは田中健一君とは何の関係も無い。
『バセンゴの会』はネット上でのみ活動しているバーチャルな親交団体だ。
これについての問合せメールはお断りしたい。メンドーなので...。
ってな風にしていたら、本当にそんなのがあるのかと思って調べた奴がいるらしい。
だけど、今の所、何の活動も行われていない筈なので、そんなにマジメに考えないでおくれ。
因みにアタキは『バセンゴの会』会長だったりして…。
文中にある「言われている程、親は有利ではない」については、『オヤの有利さ』にて解説。