麻雀打ちの頁/雀のお宿

完先ルールの要諦について。そもそも完先ルールとはいったい何なんだ。完全先付けの何が「完全」で、何を「先付け」するのだろう。その和了りに関する制限の解釈の色々など。

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完先という名の

完先という名の

この混沌の中には何かが潜んでいそうだ

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アタキは『完先撲滅推進論者』だ。
知らない人は知らないけれど、知ってる人は数少ない。
何を今さらって思う奴が周りにはたくさんいそうだけど今回の放言は、撲滅とは関係ない。たぶん。
巷で目にする、そしてアタキ自身も経験のある『完先(ナシナシ)』ルールのあれこれについて。
これは自慢なのだけど(笑)、一般のアリアリのフリー雀荘でのアタキのトップ率は三割には遠く及ばないと思うけど、ナシナシでは三割三分を超えているかもしれない。 アリアリで三連勝するととても嬉しいけれど、ナシナシで三連勝しても「またか」と思うだけだ。 そんなアタキが何故、完先ルールを憎んでいるのか、何が問題だと考えているのか、といった件とは何の関係もない、たぶん。

『完先』は『完全先付け』の略で、『完全先付け』とは「先付けをいっさい認めない」規則のことだ。 ヘンな言い方だけどしかたない。 実際にそうなのだから。
『先付け』ってーのは、先に付けるワケだから(元々は株式相場用語らしい)、例えば、飜牌を副露する前に順子面子をチイしてしまうような、そんな鳴き方のこと。 ねっ、本線である役牌よりも先に付けたわけだから「先付け」。
この先付けを禁止してるのが『完全先付け』。もうパニクってしまいそうな言い方だぁな。 誰が言い始めたのかワカラナイけれどやめていただきたい言い方だ。

地方によっては『ナシナシ』と『完先(完全先付け)』とを明確に使い分けることがあるらしいことをパソ通で教えてもらったことがある。
緩い規制を『ナシナシ』、規制が強化された時を『完先』と呼ぶ。
アタキ自身は区別したことはないけれど、この場合の区別する境界は一体、どの辺りなんだろう? そもそも『アリアリ』と『完先』の違いは何なんだろう? アタキは考えた。

メンドくさいので、ここから先は『完先』という言葉に統一しよう。
「それは『完先』じゃなくって『ナシナシ』だろ」っていうツッコミは却下でっす。

一言で言えば、一般のルールでは認められる和了型に、四つの規制を設けたものが『完先』と呼ばれるルールだ。

  • 喰いタンヤオ(鳴きタン)を認めない
  • 門前平和形でのツモ和了りでの平和役(ツモピン/ピンヅモ)を認めない
  • 先付けを認めない
  • 役が確定していない場合は和了れない

「喰いタンヤオ無し/ツモピン無し」という制限があるので『ナシナシ』という言い方をする。
先にあげた『先付け』だけでなく、「役が確定」というのもかなりのクセモノで、グループによっては解釈がマチマチなので頻繁に発生するトラブルの元だったりするのだが、これらの規制について巷にはどんな解釈があるのか、どんな違うルールがあるのか列挙してみよう。
ようやく、本題だ。

ナシナシの制限

喰いタンヤオ(鳴きタン)を認めない

『完先』と呼ばれるルールであってもその実、認めているルールもある。 その他の規則は、他の(『完先』と呼ばれる)ルールと同じなのだけど喰いタンヤオに関する規制だけが違うのだ。
一番多いのは、そのものズバリ「認めない」というモノ。
中には「『対々和』と『清一色』に限り『(喰い)タンヤオ』とは複合するがその他の役の場合は認めない」なんてーのもある。
さらには、『認める』というのがあったりする。

門前平和形でのツモ和了りでの平和役(ツモピン/ピンヅモ)を認めない

この規制は概ね、統一されていそうだ。
なんて言っても、アタキの個人的経験の話なのだけど、少なくとも『完先』であるにもかかわらずツモピンの一飜を採用しているルールにはお目にかかったことがない。

先付けを認めない

順子をチイした後に、飜牌をポンして、結果的に飜牌の一飜のみで和了る手は許されない。
これだけなら話はそんなにヤヤコシくはないのだけれど、世の中の『完先原理主義者』の中には「副露した手で飜牌のみの手は、その飜牌を最初に鳴かなければならない」なんてトンデモナイ奴らがいる。 どういう意味かってーと、

發發發一筒二筒三筒八萬八萬四索五索 チイ七索横八索九索 ロン三索

奴らは、この和了りを認めないのだ!
理由は「飜牌が先付けされてない」という意味不明のものらしい。
ここまで極端でなくとも次の例はよく目にすることがある。

一萬二萬一筒二筒三筒發發 一回目チイ六索横七索八索 二回目チイ一索横二索三索 ロン三萬

これを認めないルールがある。
だけど次の例はOKらしい。

一萬二萬一筒二筒三筒發發 一回目チイ一索横二索三索 二回目チイ六索横七索八索 ロン三萬

奴らの言い草は「完全先付けなので、一番先に役を絡めたチイをしなければならない」というものだ。 ビックリしたのは君だけではない。 アタキだって、ぶったまげたさ。

『先付け』の件でいうと次の例もペケなのが普通だろう。

一萬二萬三萬八萬八萬八萬發發中中 チイ六索横七索八索 ロン發

「これがダメなのは当然だ」と思っている人の中には、「だけど一回目二回目の件は...」と考えている人も多いだろうけど、両者の違いをよーく考えていただきたいものだ。
ね、ね、ね。

役が確定していない場合は和了れない

さてさて、話がかなり込み入ってきた感があり、いわゆる『アリアリ』と呼ばれる普通のルールしか経験のない方々は、この辺りでイヤ気がさしてくる頃だろうけど、なーに大丈夫、アップしてるアタキだって、イヤな気分なんだ(笑)。

【例A】二筒二筒二筒三筒六筒七筒八筒三索四索四索五索五索六索

【例B】一筒二筒三筒四筒四筒五筒六筒二索三索四索二萬三萬四萬

上の二つの例を聴牌と認める規則と認めない規則とがある。
【例A】では、一筒による和了りでは平和だがその他ではタンヤオとなるし、【例B】では、一筒で平和は消えるが三色同順となる。
認めるグループは「役があることが確定しているのだからOK」と言い、認めないグループは「どの役も確定(固定)していないのだからNO」と言う。
認めないグループはさらに、次の例も認めないのだ。

【例C】一萬二萬三萬四筒五筒六筒二索三索四索發發中中

間違っちゃいない。門前での話!
「發も中も確定していないのでダメ」らしい。
ここまで来ると、これは何だかなって気もするけど、それじゃ『先付け』の件で掲げたのとの論理的に何が違うんだろう。

とりあえず、ここまで…

聴牌形の判断という意味では、流局時における五枚目の牌を想定するかしないか、有効な牌の全てが河に捨てられているかいないか、さらには二飜縛りでの制限等こそが、数多くのトラブルの温床になっているのだけど、もうメンドーなので今回はここまで。

和了りの形式に制限を設けることで、通常のルールにはない趣きが発生する利点はあるのだが、こと四人で 136枚 を使っての『完先』は、ついつい『立直』に走る局面が多くなってしまい大味な感じもする。
いろんなオプションが増えて、ただでさえ立直は重宝される傾向になってきたのにこれ以上、立直ばっかやって、アタキみたいな裏ドラのノリが少ない中年にはなんだか、なんだか、なんだか、なんだ。
どうせ『完先』の制限を楽しむのなら、常に二飜縛りというくらいのキツイ規制にしてしまえばこれはこれでまた別の面白さが増すのだけど、リャンシバの面白みについてはいずれまたの機会に。

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